フィリピン パヤタス地区でのスタディーツアー、ワーク体験、ボランティア

パヤタス地区について

基本情報

パヤタスのゴミ山とスカベンジャー

生活

2000年の痛ましい事故

パヤタス地区の立退き

基本情報

ケソン市北東に位置するバランガイ(バランガイ=フィリピンの最小行政単位)。 人口 約119,000人(2010年国家統計局)。パヤタスAとB地区があり、ゴミ処分場があるのはパヤタスB地区。ソルト・パヤタスの活動拠点わかば子どもエンパワメントセンターとLikhaの作業場であるリカ・エンパワメント・センターの二つは、パヤタスB地区のルパンパガコ地区という、ゴミの山の目の前にあります。

2000年にごみ山の崩落事故が起き、世間の注目を浴びて以降、主要道路に沿って水道が引かれ、市場・小学校・ヘルスセンターもあります。多くの政府機関や国内外のNGOの支援が入るようになった現在でも、月収3000ペソ以下の最貧困世帯の割合は依然として25%を超えています。

人口の増加に伴い、スカベンジャーの割合は以前より減少し、POG(ゴミ処分場を管理統括するケソン市下部組織)からの発表に基づけば、専業・兼業合わせて15%程度です。ソルトが調査を行った地域では30%程度の人々がスカベンジャーでした。他の職種としては、建設作業員・ジープニー運転手・露天商等が一般的ですが、その多くが不安定な一時雇用で、契約のない時にはスカベンジャーとして働いている人もいます。(2009年ソルト調べ)

なりたち

パヤタスの中でも、ソルトが支援活動を行っているパヤタスB地区ルパン・パンガコは、もともと1986年の政府の再開発のために、マニラ首都圏内の別の地区から立ち退きさせられたスラム住民のための再定住地でした。 「約束の地」という意味をもつこの地区には、その後もマニラで住む場所を失った人々はもちろん、地方農村から仕事を求めてやってきた多くの貧しい人々が移住してきています。

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パヤタスのゴミ山とスカベンジャー

パヤタスダンプサイトの広さは約30ヘクタールです。1日約520台のトラックを受け入れ、ケソン市から出るゴミ1200トンが運び込まれています。(以上POGより)廃棄物処分場としての政府からの認可がおりた1973年からゴミの投棄が開始され、90年以降ゴミ投棄量が増大しています。メタンガス利用の発電所があり、この計画はフィリピン政府によりクリーン開発メカニズム(CDM)(※p.17参照)事業として承認を受けています。

パヤタス地区の中でも、ゴミ山の周囲を囲むようにして建つ簡素な家々は、そのゴミ山でゴミを拾うスカベンジャーの家々です。彼らの多くは、フィリピンで最も貧しい貧農貧漁村地帯の出身です。スカベンジャーのダンプサイト入場にはIDが必要で、これはPOG(Payatas Operation Group)という市の運営機関が50ペソで発行しています。パヤタス居住者であることが条件であり、IDがあれば24時間、制限なしで入ることができます。15歳以下の入場は禁止されており、保護者同伴であれば入ることはできますが、スカベンジングはできず、ゴミの番や弁当運びなどが子ども達の役目となります。

スカベンジャー

ゴミを拾い、再利用出来るものを売って生活している人々。回収するものは、プラスチック・金属類・ビン・紙・木材・食べ物(人用・養豚用)など。

スカベンジャーの数

パヤタスでは専業・兼業合わせて約2,000人がスカベンジャーであるといわれています。(POGより)

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生活

ゴミ山のすぐふもとで生活している人もたくさんおり、専業のみならず、他の仕事の契約がきれたときや、副収入源として兼業で行っている人もいます。収入が少ないので、食べ物が買えないときは、ゴミの中のまだ食に堪えるものを食べています。水道をひくことができない家庭もあり、近所から買ったり、井戸の水を利用しています。栄養失調により知能の発達に遅れがみられる子どもたちも少なくありません。現在、6名前後の子どもがいる場合は、1名から2名の子どもを病気で亡くしている家庭もあります。スカベンジャーの多くは、南部・北部ルソン地方、ビサヤ地方、ミンダナオ地方などの貧しい地域で小作農や漁業をしていた人たちです。激しく危険な労働という以外に、人々からの差別や蔑みに堪えねばなりません。

収入

一日の収入は、P100~P150(200~300円)ほどです(ちなみにメトロマニラ(マニラ首都圏)の最低労働賃金は約P450/日)。

教育環境

全く学校に通えていない子どもは約2%と、教育へのアクセスは近年改善されてきましたが、小学校高学年から前期中等教育にかけて中退者が急増しています。今後は、残された子どもたちに教育の機会を提供するとともに、多くの困難の中で子どもたちが主体的に学べるような環境作りが求められています。(2009年ソルト調べ)

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2000年の痛ましい事故

2000年7月10日、前日から降り続いた台風の影響をうけ、高さ30メートル、幅100メートル に渡りごみ山が崩落し、約2ヘクタールの地域をのみ込んで、500軒(2000人前後の人が居住していた)のバラックが下敷きとなりました。公式死者数は234名、身元不明者も60~70名いました。現在(2010年6月)も、82名の行方不明者がおり、実際の死者数は300名強ではないかと考えられていますが、1000人という説もあります。当日はジープニーストライキが予定されていたため小学校・中学校は休校となっており、平常では居ないはずの多くの子どもたちが家に居て、犠牲者となりました。またこの事故を機に世界的にパヤタスがフィリピンの貧困の象徴として知られるようになり諸外国からの支援が増加したとともに、フィリピン全土でも知名度がより高まり、フィリピン人の間には、パヤタス=不潔で悪臭がし、病気持ちであるといった認識、差別が強まりました。パヤタスA地区にある中学校は、2007年度から、ひと目でパヤタス出身者とわからないように、学校名から「パヤタス」の文字を外しました。

再定住地

フィリピン政府は、被災者の再定住地として、パヤタスから約 10 キロ離れたところにあるリサール州モンタルバン市カシグラハン(p13参照)を指定、 938 家族が移住しました。カシグラハンはゴミ山からも都会からも離れており、スカベンジャーにとっての生活の糧はありません。移住したその日から食べるものに困り、「避難所に戻りたい」という人が殆どでした。

ゴミ捨ての再開

政府は、 ゴミ山崩落事故をうけ、2000 年 7 月 17 日をもってパヤタスのゴミ捨て場を閉鎖すると決定しました。しかし、その1か月後あたりから不法投棄が見られるようになりました。2000年 11月、ケソン市は市内から出るゴミの投棄を、崩壊したゴミ山のすぐ横のゴミ山で行うことを決定しました。これが現在もゴミ投棄が続いているパヤタスの第二のゴミ山です。被災後もパヤタスに残ったスカベンジャーはもちろん、再定住地に移住したスカベンジャーもこのパヤタスの新しいゴミ山に通ってスカベンジングを続けました。それ以外に、生活の糧が無かったからです。

使用期限

ゴミ山はその敷地に限界があり、ごみ投棄をいつまでも続けることはできないので、その使用期限があります。パヤタスのゴミ山の使用期限は2007年でしたが、2007年以降、幾度も閉鎖の話が持ち上がっているものの、2010年現在も閉鎖されていません。パヤタスの代替地がないことがその一番の要因であると考えられます。

2013年現在、パヤタスの処分場は、「閉鎖」ではなくむしろ「拡張」の動きを見せています。そのためにルパンパガコ地区の住民は立ち退きにあっています。

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パヤタス地区の立退き

2013年10月の報告(ニュースレター41号より)パヤタス地区の立退き

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